業界タイムマシン19XX--Trip3:いにしえの国内標準機、PC-9800シリーズ - 3/6

大河原克行

2007-06-01 08:04

……ようこそ、「業界タイムマシン」のコックピットへ。私は、ナビゲーターの大河原克行です。このコーナーでは毎回、IT業界の歴史を、当時の写真を交えながらご紹介していきます。今回のテーマは「いにしえの国内標準機、PC-9800シリーズ」です。
 1982年10月に登場したPC-9800シリーズは、日本を代表するパーソナルコンピュータであり、当時から「国民機」という呼ばれ方もされていました。パソコンの普及期においては、数々の98包囲網と呼ばれる対抗勢力を退け、市場シェア7割を超える圧倒的な地位を獲得していました。しかし、Windows 95を境にした国際標準への流れのなかで、国内標準だったPC-9800シリーズの「ガリバー神話」は崩れていきます。PC-9800シリーズの歴史のひと幕を、写真とともに振り返ってみます。
 それではこれから、あなたをIT業界の過去へと誘います……。(画像をクリックすると、次のページへ進みます)
 「ミスター98」と呼ばれる高山由氏。98全盛期において、NECのパソコン事業の陣頭指揮を執っていた。1983年12月にパーソナルコンピュータ企画室長代理としてPC事業に参加。1985年7月には、パーソナルコンピュータ販売推進本部長に就任し、98黄金時代の確立に手腕を発揮。1998年6月には専務取締役に就任した。「プログラム、データ、操作性を継承することが、成功するPCビジネスの基本」が口癖であり、PC-9800シリーズは、それを継承し続けることに力を注いだ。また、ノートPCにおいて、東芝がダイナブックを投入した際、「うちはブックではなく、ノートで行く」と宣言し、「98NOTE」の名称が誕生したのは業界では有名な逸話。「ブックは見るだけ、ノートは自ら書き込むインクタラクティブ性があり、PCに似ている」ことを理由とした。いまでは、ノートPCという呼称が日本のPC業界に定着している。(画像をクリックすると、次のページへ進みます)

 「ミスター98」と呼ばれる高山由氏。98全盛期において、NECのパソコン事業の陣頭指揮を執っていた。1983年12月にパーソナルコンピュータ企画室長代理としてPC事業に参加。1985年7月には、パーソナルコンピュータ販売推進本部長に就任し、98黄金時代の確立に手腕を発揮。1998年6月には専務取締役に就任した。「プログラム、データ、操作性を継承することが、成功するPCビジネスの基本」が口癖であり、PC-9800シリーズは、それを継承し続けることに力を注いだ。また、ノートPCにおいて、東芝がダイナブックを投入した際、「うちはブックではなく、ノートで行く」と宣言し、「98NOTE」の名称が誕生したのは業界では有名な逸話。「ブックは見るだけ、ノートは自ら書き込むインクタラクティブ性があり、PCに似ている」ことを理由とした。いまでは、ノートPCという呼称が日本のPC業界に定着している。(画像をクリックすると、次のページへ進みます)

写真提供:大河原克行

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