Appleが、汎用性の高い独自規格のSIM(Subscriber Identity Module)カード「Apple SIM」を新しいiPadに採用してきたことを受けて、同社が将来的に「新しいタイプのMVNOサービス実現を視野に入れている可能性がある」との見方が改めて浮上している。
AppleがかつてオリジナルのiPhone投入に向けて調査を進めていた際に「MVNOの可能性も検討していた」というのは、一部でわりと知られた話かと思う。Fred Vogelsteinの書いた『アップルvs.グーグル:どちらが世界を支配するのか(原題:「Dogfight: How Apple and Google Went to War and Started a Revolution」)』には、「AppleがSprintの回線を借りてMVNOをやるとのアイデアにSteve Jobsが乗り気になっていた」などといった記述もある。
この時は、Cingular(旧AT&T)のある幹部が「画期的なiPhoneでそんなこと(MVNO)を始められてしまっては大変」とApple側を説得し、「携帯電話会社をやるとなれば、加入者者への対応やら料金徴収やら、大変=面倒くさいこともたくさん出てくる」「(携帯通信分野の経験値が皆無に等しかった当時の)AppleがいきなりMVNOまでやるのは得策ではない」云々と口説いて、なんとか自社との独占契約にこぎつけたといった経緯があったらしい。
その当時――2007年以前と比べれば、Appleが現在この分野で有する影響力が比較にならないほど大きなことは言うまでもない。決済に使えるiTunesのアカウント数(約8億件)もたくさんあれば、米国など一部の地域では、携帯電話会社の流通網に頼らなくてもなんとかなりそうなほどのApple Storeや大手家電量販店などの小売拠点もある。
現時点で不足しているのは、さしあたり割賦販売に関する与信付与の機能くらいだろうが、それも外部のサービス提供者を見付けるのは比較的簡単な事柄かもしれない。
そういう状況だから、このApple SIMがiPhoneにも搭載されるとなると、携帯通信市場はちょっと大変なことになる…。WSJやThe Verge、QUARTZの記事にはそんなことが書かれてある。
「iPad Air 2」「iPad mini 3」のWi-Fi+Cellularモデルに採用されたApple SIMに対応するのは現時点で米英の4つの携帯通信事業者――AT&T、Sprint、T-Mobile USA、それに英EE(Deutsche Telekom系のT-MobileとFrance Telecom系のOrangeとのJV)で、米国ではVerizonが今回も話に乗ってきていない。
だが、iPhone取り扱いに至る過去の経緯、それに各社のLTE網展開の進み具合などを考えると、このVerizon不在もそれほど意外なことではない。Appleが特定の市場でまずは「立場の弱い相手」から見方に引き込み、その既成事実をテコに最大手に圧力をかける、というのも最早お馴染みのアプローチ――米国や日本、それに中国の携帯通信市場でも同じやり方が繰り返されてきたことも改めて言うまでもない。
Apple SIMを内蔵した端末で、ユーザーが受けられるメリットは、いまのところ「自分が端末上で設定変更するだけで通信キャリアを乗り換えられる/使い分けられる」というものにすぎない。iPadのページ(米Appleサイト)にある説明(下掲)にもそういうことしか書かれていない。
The Apple SIM gives you the flexibility to choose from a variety of short-term plans from select carriers in the U.S. and UK right on your iPad. So whenever you need it, you can choose the plan that works best for you—with no long-term commitments. And when you travel, you may also be able to choose a data plan from a local carrier for the duration of your trip.
ここで前提となっているユーザーは、たとえば外国に出かけることの多い人間とか、あるいは本体を一括購入して通信サービスはプリペイドなどで料金の安いものを選ぶ、という人たち。とりあえず現時点では(少なくとも米国や日本では)まだ少数派とも思われる。ただし、日本でもしばらく前からよく「格安データ通信サービス」といわれるようなものが注目を集めているようなので、こうしたタイプのユーザーが今後もそんなには増えないとは言い切れないが。
一方、ユーザーが「複数のSIMカードを持ち歩いて随時差し替えて使うのが当たり前」あるいは「SIMスロットが2つある端末が大手メーカー製も含めて売られている」といった新興地域の例、そして日常生活の中で国境を越えて行き来するユーザーがそれほど珍しくもない欧州の例もある。陸続きで外国へ行けてしまう欧州の場合などは、こうしたSIMカードの差し替え=通信キャリアの使い分けもそれだけ切実な問題と言えるかもしれない。