アンティキティラで沈んだ船は、なぜこれほど巨大だったのだろうか?われわれが知り得ている同時代の知識のうちで、アンティキティラの船よりも大きな船は、ローマ皇帝のカリギュラがネミ湖で用いた遊覧船だけだ。しかし、アンティキティラの船の目的は遊覧と運輸業務を兼ねていた可能性もある。
1つの仮説であるが、アンティキティラの沈没船は青銅や大理石でできた像を積み荷として運搬する、大昔の観光貨物船であったのかもしれない。
船で像を運搬する必要があったのであれば、なかには3メートルにもなる像もあったため、輸送中の損傷を防ぐためにしっかりと梱包されていたはずだ。砂やわらが梱包材として使用されていた可能性もあるが、Foley氏は穀物の可能性が高いと考えている。穀物であれば、積み荷をしっかりと守れるうえに、目的地に着いた際にそれを売ることもでき、ずっと経済的と言えるはずだ。
Foley氏は「古代の穀物運搬船は単なる貨物船ではなく、タイタニック号のようなものだった。こういった船舶は豪華客船のようなものだったのだ」と述べた。
「当時の穀物運搬船が、モザイクの床や図書館、豪華な客室を備え、200〜300人の旅行客を乗せてローマからエジプト、あるいは黒海を航海していた浮かぶ宮殿であると描写している文献も複数現存している。乗客は言わば世界初のツーリストだったのだ。船に穀物を積み込むには数カ月を要するため、ツーリストらはその間、周辺を観光し、出航時期が来る頃に船に戻ってくるという手はずになっていたというわけだ」(Foley氏)
モザイクの断片といった遺物によって、この仮説に信ぴょう性が与えられるだろうが、沈没時に船と運命をともにした人たちの骨もさらなる証拠になるかもしれない。
Foley氏は「これが今まで発見されたことのない穀物運搬船であることを示す状況証拠は他にもある。豪華な品物を搭載しているうえ、若い女性の遺骨も発見されている」と述べた。
今までのところ4柱の遺骨が発見されており、沈没現場にはまだまだ多くの遺骨が残されているかもしれない。さらなる遺骨が発見された場合、ダイバーのDNAが遺骨を「汚染」しないよう、細心の注意を払った引き上げ作業が必要となる。また、調査船に乗るメンバーの口腔粘膜細胞を採取し、その遺伝子情報を登録しておくことで、遺骨の汚染有無を判断できるようしておく必要もあるだろう。
WHOIは現在、遺骨のDNA分析処理を行える企業を探している。これによって遺骨の主が船員か、金持ちのツーリストか、奴隷であるかにかかわらず、彼らの出自についてのヒントが得られるかもしれない。
WHOIの科学者らは既に、沈没船に積まれていた陶器製の容器から、旅行客の衛生習慣や食生活といった生活的な側面に関する手がかりも得ている。最初の発見現場から既に、「古代のドラム缶」とも言えるアンフォラや、ラギュノスと呼ばれる水差し、薬や化粧品、香水を入れるウングェンタリアと呼ばれる小瓶が引き上げられている。
Foley氏は「これらの陶器製の容器の中身はすべて流れ出てしまっているが、容器の内側をぬぐい取り、警察の鑑識が使用している技術を使えば、そこに付着していた元々の内容物の残りかすからDNAの痕跡を引き出し、動植物の種類まで特定できる」と述べた。
大昔の壺から豆や肉と、ハーブやスパイスを混ぜ合わせた古代のインスタント食品が見つかることは珍しくないが、どういった日用品がどういった地域の間で取引されていたのかを類推でき、歴史上の文献のみに頼らずとも地域経済に対する洞察が得られるという点で、壺自体からの情報はずっと価値が高いものになるはずだ。
Foley氏は「この調査は、やっていてとても楽しい」と述べ、「というのも、過去に関する新たな展望を開拓している気分になるとともに、経済の萌芽に関する確固たる情報を見つけ出せるためだ。彼らが実際に取引していたもの、そして彼らが生み出していたもの、彼らが消費していたものは何だったのか?このため、見かけは空っぽの壺であっても、疑問の答えはすべてそこにあるというわけだ」と続けた。