デジタルネイチャーは「暗黙の未来」なのだろうか
地球を覆う情報の網の目=WWWの誕生から25年を経て第3四半世紀に突入したインターネットの姿をどのようにイメージするか…?これは筆者も含めてITを活用したあらゆる創造産業に携わる者にとって重要な課題だろう。
本連載の第1回で「来るべき次の25年にはインターネットは私たちの意識の後景にどんどん退いていくだろう」と述べた。その理由は「四半世紀という時の流れは、人間にとってのインターネットを外部的には環境化し、内部的には血肉化した」からであり、「インターネットがもたらす情報世界はもはや私たちの自然」であって、「生身の身体とも決して切り離すことのできない強度と深度で同期している」からである。
この「デジタルネイチャー」とでも表現するほかないインターネットの様態は、当然のことながら多くの問題も含むだろう。つまり、私たちにまつわるあらゆる情報=購入履歴、位置情報、趣味趣向、身体情報が利便性や有益性の名のもとに知らず知らずのうちに吸い上げられ、他のデータと関連付けられ、カテゴライズされていく……という、現在すでに常態となっているプライバシーの観念の喪失がさらに進行していくということだ。
しかも、そのことに私たちはより無関心になり、まるで空気を吸っては吐くように、企業に預けたデータをもとに供給されるサービスの恩恵を享受しつつ、企業にせっせと新たな個人データを自覚なしに譲渡していく。
これが果たして歓迎すべきことなのか、憂慮すべきことなのか……、その答えは誰にもわからない。束縛であることは間違いないと思いつつ、完全な拒絶もできない。「嫌ならインターネットなんて使わなければいい」という極論が通用する時代ではないのである。それほどまでに25年という歴史はインターネットを私たちにとって環境化し血肉化した。
10月27日から29日まで、ベルリンを拠点とするドイツのインターネット新聞「Berliner Gazette」が「TACIT FUTURE」(暗黙の未来)と題した国際会議を開催した。
世界各国からアーティストや研究者、ジャーナリスト、編集者、政治活動家などを集めて行われる同カンファレンスはパブリックトークとワークショップから構成されており、筆者も「Industries of prediction and margins of freedom」(予測の産業と自由の余地)というワークショップに招聘され参加した。
他のワークショップも「THE POLITICS OF BORDERS AND MONEY MOVES」(お金の移動と国境の政治学)、「TRACES OF MOVEMENT AND THE QUESTION OF RIGHTS」(移動の追跡と権利の問題)といった議題が設定されており、今後ヨーロッパの人間観や倫理観がシリコンバレー発の情報産業といかに渡り合っていくのかを占う重要なカンファレンスとっている。「TACIT FUTURES」の模様は11月掲載の次回の本連載で詳しくレポートするつもりである。
10月27日から29日までの3日間、ドイツのベルリンで開催される国際会議「TACIT FUTURE」のWebページ。はたして私たちは第2四半世紀のインターネットがもたらす世界を「暗黙の未来」として甘受すべきなのか、対策を講じることができるのか…?