さて、脳髄経由のジャック・インにしろ、HMDを使ったゲームにしろ、テレイグジスタンスにしろ、それらが「技術で可能になるかどうか」以上に大事なことがある。
それは、VRに浸ると人間が「変革する」という事実だ。VR研究者として『スーパーヒューマン誕生! 人間はSFを超える』(NHK出版新書)の著作もある東京大学先端科学技術研究センター・稲見昌彦教授はインタビューで、VR技術は自分の身体を置き換える技術、すなわち「変身できる技術」であり、「変身することによって、人の心のほうが変わってくるかもしれない」という主旨の発言をしている。

一例として、白人女性がVR世界の中で黒人女性に変身して生活すると、現実世界で黒人男性や黒人女性と廊下ですれ違う際の距離が無意識に短くなる。そんな実験結果があるそうだ。
再度『マトリックス』を思い出してみよう。映画のビジュアルとして強烈に印象づいている、黒いロングコートにサングラスの主人公ネオ、モノトーンのスーツや上等なシャツ、革製のジャケットやパンツでスタイリッシュに決めた登場人物たち、モダンでシックなインテリアデザイン――これらはすべて、VR空間内での描写だ。
現実世界の彼らはその真逆。ボロをまとい、旧時代的なオンボロ工作船に乗り、コンピュータの攻撃を恐れながら、小汚い街で貧乏に暮らしている。かなり冴えない。
人間の美的理想を体現すべく、強い意志のもとに美しくデザインされたVRのほうが、現実世界より格段にカッコ良い。『マトリックス』でそれをはっきり示したのは、監督のウォシャウスキー兄弟だ。
その彼らが「マトリックス」三部作を撮り終えたのち、ウォシャウスキー“姉妹”になったのをご存知だろうか。兄のラリーは2008年に「ラナ」へ、弟のアンディは2016年に「リリー」へ。性転換手術を受けて女性になったのである。
彼らは男性として生きる苦しみと違和感にまみれた冴えない現実世界を、自らの強い意志にしたがって華麗に書き換えた。その決断に踏み切るきっかけになったのが、VR空間内でカッコ良く、美しく生きるネオたちの最高にクールな勇姿だとすれば、そんな素敵な話はない。
技術発達によって急速に高度化したVRは、現実世界で人が抱く不快感・違和感を解消し、心の奥にしまい込んでいた理想に気づかせ、精神を解き放ち、行動を起こさせる。ラナとリリーはそれを実践した。
技術は人の運命すら変える。技術とは希望なのだ。人がなぜこうもVRに魅せられるのか、わかるような気がする。
- 脚注
【*1】てんとう虫コミックス 第16巻「立ちユメぼう」(「小学四年生」78年1月号掲載)に登場
【*2】てんとう虫コミックス 第18巻「実感帽」(「小学五年生」77年6月号掲載)に登場
【*3】てんとう虫コミックス 第31巻「録験機で楽しもう」(「小学六年生」79年7月号掲載)に登場
- 稲田豊史(いなだ・とよし)
- 編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年よりフリーランス。 著書に『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)がある。 手がけた書籍は『ヤンキー経済消費の主役・新保守層の正体』(原田曜平・著/幻冬舎)構成、『パリピ経済パーティーピープルが市場を動かす』(原田曜平・著/新潮社)構成、評論誌『PLANETSVol.9』(第二次惑星開発委員会)共同編集、『あまちゃんメモリーズ』(文芸春秋)共同編集、『ヤンキーマンガガイドブック』(DUBOOKS)企画・編集、『押井言論 2012-2015』(押井守・著/サイゾー)編集など。 「サイゾー」「SPA!」ほかで執筆中。(詳細)