実は「スター・ウォーズ」の第4作から第6作は、古参ファンからだけでなく、一部の出演俳優たちからも不評を買ったとされている。理由は、生身の人間が登場する大半のシーンがグリーンバックのスタジオ内で――これ以上ないほどの無機質な空間で――撮影されたため、感情を込めた演技をするのが難しかったからだ。
考えてみれば、当然である。「ハイ、ここに異星人がいるつもりで、話しかけてくださ~い」と言われて、棒の先につけられた目印のピンポン玉(的なもの)を相手に熱演する毎日なのだ。しかも、周囲は何のイマジネーションも沸かない箱庭セットで、背景から何からデジタル合成用にすべて安っぽい緑色で塗ってある。CGが進化して、「人間的」な存在を描けるようになっていった途上で、俳優たちは逆に「非人間的」な環境に投じられるようになったのだ。皮肉というほかない。
ここで、先ほどのメイキングをもう一度見てみよう。砂漠でのロケや大規模なセット、異星人の着ぐるみや実物大の戦闘機に囲まれた役者やスタッフたちの目は爛々と輝き、雰囲気はまるで学園祭のようである。「もう死んでもいい」「私の人生はこの瞬間のためにあるのだから」「だって『スター・ウォーズ』だよ。燃え尽きるまでやるぜ」といった松岡修造並みに熱い言葉がポンポン飛び出している。グリーンバックだらけの殺風景なスタジオで、果たしてこんな雰囲気が醸成できるかどうか。
CGを減らしたことが、作品が醸すエモーション自体にどれほど寄与したどうかなど、推し量る術もない。CGやデジタル合成でなんとでもなるところ、わざわざラストシーンの撮影のために役者とスタッフを引き連れてアイルランドの島までロケに行くことが、合理的であるとはいえない。
実物大モデルがつくられた「BB-8」starwars.wikia.comから引用
もちろん「フォースの覚醒」でもCGはふんだんに使われている。ただしこの記事のJ・Jのコメントによれば、「CGは物を加えるよりも取り除くために使用した(in fact used CG more to remove things than to add things)」という。一例としては、かわいらしいロボット「BB-8」は実物大モデルをきちんと作り、それを後ろから押して動かしているスタッフを後から消すといったような。実際、『フォースの覚醒』に登場する異星人や動物の多くは、パペットか着ぐるみでできている。CG技術は「主」ではなく「従」なのだ。
単なる印象論であることを前置きして言うなら、この技術の使い方はなんだかとても「正しくて、幸せな」気がする。そのことと、「フォースの覚醒」が世界中の古参「スター・ウォーズ」ファンから(第4作~第6作とは対照的に)大喝采を浴びたことが、無関係とは思えない。
J・Jはハリウッドの第一線を担うフィルムメーカーである。その彼は、作品とCGの「主従関係」を間違えていない。だから、たぶん世界はこの先、20年前に「バットマン フォーエヴァー」が抱いた心配どおりにはならない。CGというテクノロジは――フォースと同じように――使い方によって善にも悪にもなる。善いテクノロジと善いフォースは、いずれも世界を幸せに導くのだ。
- 稲田豊史(いなだ・とよし)
- 編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年よりフリーランス。 著書に『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)がある。 手がけた書籍は『ヤンキー経済消費の主役・新保守層の正体』(原田曜平・著/幻冬舎)構成、『パリピ経済パーティーピープルが市場を動かす』(原田曜平・著/新潮社)構成、評論誌『PLANETSVol.9』(第二次惑星開発委員会)共同編集、『あまちゃんメモリーズ』(文芸春秋)共同編集、『ヤンキーマンガガイドブック』(DUBOOKS)企画・編集、『押井言論 2012-2015』(押井守・著/サイゾー)編集など。 「サイゾー」「SPA!」ほかで執筆中。(詳細)