上司に認めてもらえないエンジニアは“社内”を捨てOSSで行こう - (page 2)

田中好伸(編集部)

2007-11-01 20:46

 やがて比嘉氏は、社外に出てさまざまな出会いを経験するようになるとともに、それまでとは違う経験も積むようになっている。

 ニフティのフォーラムの中で「Javaでデータベース(DB)にアクセスするには?」という話題になり、そこでJavaとDBを接続するためのAPIである「JDBC」のことについて説明していた。それを知った出版社から「JDBCに関連した書籍の執筆を依頼される」とともに、「また別の会社から講演も依頼されるようになっていた」という。

 会社での仕事をこなしながら、そうした活動を続けていた同氏はやがてOSSとかかわり合うようになっている。友人から「いいアプリケーションサーバソフトはないか」と聞かれた比嘉氏は、「自分で作ってやるよ」と3週間でアプリケションサーバソフトを開発してしまったという。これが、Seasar2の大本となるSOとなるのだ。

 自分で開発したアプリケーションサーバがネットで動いているのを見た感動した同氏は、会社の中でフレームワークを開発するようになり、会社の中で使ってもらうようにしている。しかし、開発したフレームワークに対する社内からの「反応がなかった。みんな意見は持っていたとは思うが、正面切って“こうした方がいい、こういう機能があればいい”と言われることがなかった」と寂しいものだったようだ。

 自分で開発したものに対してフィードバックが得られず、とどのつまり、ユーザーが見えなかった比嘉氏は、ここで決断をする。自分が開発したものに対するフィードバックを得ようとして、2003年の春に、「もっと多くの人に使ってもらいたくなって、フレームワークS1をOSS化した」のである。

 当初は1人で開発していた同氏だが、やがて1人きりでの開発には限界があることを知るようになる。そこで彼は、「自分には才能がないことを認めてみんなに開発してもらおう」として、開発者を募り、ブログ(具体的にははてなダイアリー)を介して開発を行うようになっている。これが2004年1月のことで、ここからSeasar2の開発が本格的に始まっている。

 はてなダイアリーを介した開発では、参加を得やすいと同時にユーザーからのフィードバックも得やすかった。そこでの関係は、やがてコミュニティーへと進化するようになっている。現在、Seasarのコミュニティーは「コミッターが100人程度で、70〜80の開発プロジェクトが稼働していて、これはコミュニティーとしては大きなもの」というほどの成長を遂げているという。

 比嘉氏は自分のこれまでの活動を振り返って、こう語る。

 「エンジニアが自分の活動を認めてもらうには、社内に閉じこもっていては意味がない。社外で自分の存在価値を認めてもらうと、会社の中で働くことにも、“助け”となる」

 現に比嘉氏は、Seasar2の活動が外部で認められるようになってから、その事実が、会社内部での評価につながっている。比嘉氏が所属するISIDは、さまざまな開発現場で活用されているSeasar2の有効性を認めて、会社としてSeasar2のサポートサービスを事業として成り立たせている。その比嘉氏は、「かつては勤務時間の3分の1をSeasar2に活用することを許されていたが、今では勤務時間のすべてを活用できることが許されている」という。

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