ただし、改めて言うまでもないことだが、自動車の頭脳(OS)というのは、ウェブサービスやモバイル端末のソフトウェアとはわけが違う。利用者にとっても、自分からパブリックベータ版OSの「人柱」になって、作成中の書類を失うこととはわけが違う。そうしてまた、巻き添えを食う歩行者やほかのドライバーには「いい迷惑」では済まなされないという点でもやはりわけが違う。
いくらTesla側が「自己責任でやってくれ(事故になっても、われ関せず)」と周知しているとはいっても、実際に事故が起こってからでは手遅れ。また、それくらいのことはTesla側でも承知の上でやったこと(OSアップデートのリリース)であろうから、Telsaには安全性に相当な自信があるのか、あるいは万一裁判沙汰になっても言い逃れがきく、と踏んでいるのか……(事故の当事者や被害者がそれで承知するかどうか、というのは無論また別の問題だろうが)。
いずれにしても、ロボットカーの安全性を「人間は過信しすぎる」ことが分かったからと、その後に自前開発のGoogle Carからハンドルを外すことにしたGoogleの判断のほうがずっと賢明な選択とも思えてしまう(*2)。
「Googleのロボットカー開発チームは『これはまだプロトタイプだから、運転中によそ見などしてはいけない』とよくいい含めた上で、100人ほどの社員にハンドル付のロボットカーを貸し出した。
ところが、車載カメラに映っていたのは、ロボットカーに乗り込んだそうそうに、後部座席においた携帯電話の充電器やラップトップを取ろうと後ろを向いたりしていた社員の姿で、しかも高速道路運行中にも関わらずだ」といったことが9月半ばに出ていたThe Guardian記事には書かれてある。このコメントをしているのは、ロボットカー開発チーム責任者のChris Urmsonだ。
人間側の「ロボットカーの性能を過信しすぎる」という難点を察知して心配になったUrmsonらは、「少しずつ完全な運転自動化に進む」というアプローチを捨てて、最初からハンドルのないGoogle Carを開発することにしたという。この記事では、人間のドライバーがいる前提でのロボットカー開発を進めているBMWとの対比で、グーグルのそうしたアプローチが説明されている。
また、SiriやGoogle Nowのような音声コマンド機能でさえドライバーの注意散漫の原因になりかねないというAAA Founddationの調査結果が出ていた(*3)。その矢先のことでもあり、どうしても考えは悲観的な方へと向かってしまう。
きっと子供の頃、ダンプカーと接触して入院したことがあったせいで――幸い、これといった後遺症も残らず、物心がつくかつかないかの頃のことで直接に「怖い思いをした」という記憶もなく、ただ入院時の記憶だけがかすかに残っているだけだが、それでもこういう「旺盛な実験精神」あるいは蛮勇に対しては無意識の部分で拒否症状が出てしまうのかもしれない。
なお、「Teslaのオートパイロットのシステムはリスキーだ」「きちんとした判断力や常識を働かせなければ、ドライバー自身だけでなく他の人間の命も危険にさらすことになる」などとするMITのロボット専門家(いわゆる「識者」?)のコメントもWSJ記事には引用されている(*4)。
こういう注意が簡単に守られるようなら、例えば「幼児を乗せた自転車をこぎながら、なおかつ平気でスマホでしゃべり続ける母親」の姿などはとっくの昔に見かけなくなっているだろうに……そう考えると、よくこんなものに各国の規制当局がOKを出したものだと思えてしまう。