最後に、少々メタな話を。個人に「映像作品の所有」という習慣を根付かせた最大の立役者といえば、1996年に登場したDVDメディアである。データ圧縮技術の向上により、CDと同サイズの円盤に映画まるまる1本分の映像情報を詰め込めるようになったのだ。
それまで映像作品を所有するためには、1万円以上するVHSや、安くても5000円程度はするLDを購入する必要があった。もちろんDVDより画質はずっと劣る。
DVDは登場後数年で爆発的に普及し、旧作であれば数百円から1000円台で買える時代が訪れる。ゼロ年代前半から中盤にかけてはDVDが世界中を席巻し、ハリウッドの映画会社各社も、その売上収益を大いに当てにするようになった。
そんななか、一部のハリウッド映画の作り方に変化が現れる。「後でDVD、もしくはブルーレイで見返すことを前提にした、過剰な画面の描き込み」を施す作品が現れ始めたのだ。
たとえば2007年に公開された米国映画『トランスフォーマー』。車が巨大なロボットに変形するシーンを精巧なCGで作り上げた、「映像革命」というキャッチコピーをつけられたヒット作である。
しかし映画館に同作を観に行った筆者は戸惑った。メカの描き込みが細かすぎることに加えて、カメラが対象物の周囲をグルグル周りながら高速の変形を捉えるために、初見では画面内情報量の半分も受け取れない。どうしたって、人間が一度に受容できる情報量のキャパを超えている。これは明らかに「DVDかブルーレイでもう一度見直す」ことを前提にした作りだ。
思い返せばゼロ年代半ばくらいから、何人かのハリウッド映画監督が作品プロモーション時にこぞって、こんなことを言っていた。「細かいところはDVDで見直してくれ。きっと新たな発見があるから」
別に、「映画は一回性の産物」だとか「暗闇での一期一会」といったような、老映画評論家の世迷い言のような説教をする気はない。「繰り返し視聴を前提とする物語」もまた、技術革新がもたらした「物語」のひとつの変革なのだ。スマホ画面のように縦長画面の映画作品が登場し、縦長画面でしか語れない「物語」が生みだされる日は、そう遠くないのかもしれない。
- 稲田豊史(いなだ・とよし)
- 編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年よりフリーランス。
著書に『ドラがたり――のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』(PLANETS)、『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)がある。
手がけた書籍は『ヤンキー経済消費の主役・新保守層の正体』(原田曜平・著/幻冬舎)構成、『パリピ経済パーティーピープルが市場を動かす』(原田曜平・著/新潮社)構成、評論誌『PLANETSVol.9』(第二次惑星開発委員会)共同編集、『あまちゃんメモリーズ』(文芸春秋)共同編集、『ヤンキーマンガガイドブック』(DUBOOKS)企画・編集、『押井言論 2012-2015』(押井守・著/サイゾー)編集など。 「サイゾー」「SPA!」ほかで執筆中。(詳細)