あなたの遺伝子は誰のもの?
ゲノムシーケンスの解析によって人間の健康に関する深い洞察が得られるのであれば、それを活用しようとする企業も出てくるはずだ。
健康保険業界にとって、顧客が長期間にわたって高額な治療を必要とする状態になる可能性が高いかどうかを知っておくのは大きなメリットだ。
こういったメリットがあるのは健康保険業界だけにとどまらない。ある種の遺伝子配列と、危なっかしい行動を取る傾向との関連が特定できた場合、生命保険会社や旅行保険会社はその情報を活用したいと考えるはずだ。顧客の遺伝子に問題があれば保険の掛け金を引き上げ、問題がなければジムに通っている人に対するような割引を提供するというわけだ。このような状況を避けるには情報の共有を拒否すればよいのはもちろんだが、遺伝子情報の提供を拒否した顧客は何か隠し事があると疑われ、沈黙の代償を払わされることは想像に難くない。
同様に、雇用者は従業員や求職者の遺伝子シーケンスを要求し、在職中に健康を害する確率が高いかどうかを知ることもできる。現在、遺伝子情報を根拠にした差別を禁止している国もあるが、有権者の総意ではなく企業の利益のために法律が変えられるというケースがどれだけ多くあったかを考えると、楽観的ではいられないだろう。
遺伝子のシーケンス解析が可能になった結果、DNAのどの程度の部分がわれわれのものなのかという疑問も生まれてくる。例えば、大腸がんのリスクを高める遺伝子変異が発見された場合、企業はその遺伝子の特許を取得できるのだろうか?
一部の企業はそうあるべきだと主張している。多大な時間と労力をかけて変異を発見し、その存在を確定するためのテストを可能にした点を考えれば、投資を回収するために特許が認められるべきだというのだ。その一方で、そういった変異は人間の体の中で自然に発生しているため、特許を認めるのであれば、それは利益を追求する企業に対してではなく、母なる自然に対してであると主張する人たちもいる。
この問題は、すでに裁判の場に何度か持ち込まれ、異なった判決が出されている。BRCA1とBRCA2という遺伝子の変異が乳がんのリスクを高めるという事実を共同で発見したMyriad Geneticsは、この変異の特許を取得し、その検査を実施しているライバル企業を訴えたのだ。米連邦巡回区控訴裁判所はMyriadに対して「MyriadはBRCA1やBRCA2といった遺伝子内にコード化されている遺伝情報を作り出したわけでも改変したわけでもない。ヌクレオチドの配置と順序はMyriadの発見前から自然界に存在していた(中略)米最高裁判所が明確に示しているように、自然に発生した物質組成も、自然に発生した物質と構造を同じくする合成物質も、特許の適格性要件を満たさない」と同社の主張を退ける判決を下した。
しかし、このような見識ある判断がすべての裁判で示されているわけではない。オーストラリアの裁判所ではMyriadの主張が認められており、他の国でも自然発生したDNAに対する特許を企業に認めた事例がある。