しかし、現時点では、日本には脅威情報共有の輪を広げていくうえで必要な人材が不足しています。日本企業は、システムインテグレーターにサイバーセキュリティ関連の業務を外部委託する傾向があるため、いつ誰と脅威情報を共有すべきか判断できる人材が海外で比べると圧倒的に少ないです。
日本がサイバー攻撃の脅威情報共有への参加に消極的なのは、文化的な背景にも一因があるかもしれません。1946年に文化人類学者のRuth Benedictが記したように、日本は「恥の文化」であり、面目を失うことを避けたいとの願望を非常に強く持っています。
確かに、世界中の多くの企業も、サイバー事件の被害者となったことを認めたり、標的とされたことを明らかにしたりすることを望んだりはしないでしょう。ただし、サイバー攻撃に関する脅威情報共有枠組みが目指す「信頼」された環境であったとしても、日本企業にとってそうしたことを認めるのは、耐え難いことなのかもしれません。信頼と文化的要因は、情報共有に影響を与えるため、どの国においても重要な要素です。
ボランティア精神は、社会への貢献という意味で、参加者間での情報共有を成功させる1つの要素になりえます。 一般財団法人自治体国際化協会によると、米国のボランティア活動は17世紀までさかのぼる長い実績を持ち、行政や社会福祉を補完してきました。
一方日本では、米国式のボランティア活動が始まったのは第二次世界大戦終了後であり、しかも地元地域のための社会福祉活動に重点が置かれる傾向にあります。こうした歴史的背景から、情報共有の普及拡大への寄与における日本人のボランティア精神の発揮が難しくなっている可能性があります。